「僕の主食は乾パンとジャガイモ、或いは街角で売っている栗だ」「4日間で23杯のコーヒー以外に殆ど何も食べなかった」、これは27歳のゴッホが弟テオに書き送った言葉。
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、わずか37歳でこの世を去りました。手紙の27歳当時は、死の10年前ということになります。毎日がこの食事とは思えませんが、乾パンとジャガイモとコーヒーだけで、高い精神力を保ちながら制作活動を続けることは非常に困難だったと推測します。単純に考えただけで、糖質とカフェインで無理やり動いていて、まさに副腎疲労。エネルギーの生産は乏しかったでしょう。
セロトニンの材料は、必須アミノ酸のトリプトファン(チーズ・牛乳・ヨーグルトなどの乳製品)、ビタミンB6(赤身の魚や、ヒレ肉やささみなどの脂が少ない肉類)、ナイアシン(魚介類やレバーなどの肉類)、ビタミンD(日光浴)などです。上記の食事ではどれも満たされることの無い栄養素です。
アントウェルペン(1885年末-1886年初頭)
金銭的には依然困窮しており、テオが送ってくれる金を画材とモデル代につぎ込み、口にするのはパンとコーヒーとタバコだけだった。同年2月、ファン・ゴッホはテオへの手紙で、前の年の5月から温かい物を食べたのは覚えている限り6回だけだと書いている。食費を切り詰め、体を酷使したため、歯は次々欠け、彼の体は衰弱した[104][手紙 20][注釈 14]。また、アントウェルペンの頃から、アブサン(ニガヨモギを原料とするリキュール)を飲むようになった[105]。Wikipediaより歯が次々かけているのは、糖質過剰とタンパク質不足の症状ではないでしょうか。お酒に頼っていたのであれば、ビタミンB1不足、マグネシウム不足、亜鉛不足にも陥っていたでしょう。ありとあらゆる栄養素が極限までに不足していたことが想像できます。
ここまでの極限状態にならないと作品を生み出すことが出来ないという側面もあるのかもしれません。充足の中から新しい物は生まれません。まさに生みの苦しみです。
後世の私からすれば、もう少し栄養を補給して、長く、そして多くの作品を残して欲しかったと思う半面、短く燃えるような人生だったからこその作品なのだろうとも思うのです。
その作品たちが、現在の私たちの心を豊かにしてくれていることに感謝の念が尽きません。
クリエイターのみなさんが、精力的に活動するためには、やはりタンパク質やビタミン、ミネラルの補給が必要です。必要ならば、栄養状態を極限にして制作しても良いかと思いますが、願わくば、そこからの回復法を知っていてほしいのです。命を落とす前に出来る対策があります。
ゴッホの最後
1890年5月、療養所を退所してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に死亡した(死)。発作等の原因については、てんかん、統合失調症など様々な仮説が研究者によって発表されている(病因)。
ファン・ゴッホはオーヴェルの麦畑付近で拳銃を用いて自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張もある。2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、彼と一緒にいた少年達が持っていた銃が暴発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、彼らをかばうために自殺に見せかけたとする説を唱えた。